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立神杯2025 Part 1

PLAYERS : MASAKI HARADA

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原田 正規
MHASAKI HARADA

 

立神杯2025

Part 1

 

九州のサーフシーンとともに歩んできた大会、立神杯の実行委員長を務めることになった原田。10月26日の開催に向け、長男カイマナ、カイマナの友人カイルとともに、地元唐津に帰省した。

 

文:高橋 淳
写真:飯田 健二

伝統ある立神杯の復活

 

10月24日、原田は地元・唐津へ向かった。彼が実行委員長を務める立神杯は、今回で39回目を迎える歴史あるサーフィン大会だ。しかし、前回の開催は2007年。地元サーファー同士のあいだで折り合いがつかず、そこから長いあいだ、大会は止まったままだった。そして今年、ようやく場が整い、満を持して復活した。原田は立神杯についてこう語る。

 

「途切れることがなければ、57年続いたことになる。おれが生まれる前からあるサーフィンの大会。そんな歴史が自分の地元にあるなんて誇りに思う。立神杯は九州のなかで登竜門で、プロになる前に勝つべき大会として知られていた。実際、自分もサーフィンを始めたときは立神杯で優勝することを目標にしていた」

 

九州サーフィン発祥の地と言われる立神ポイント(以下、立神)。その波に魅せられたサーファーたちによって育まれた文化と絆。今年の立神杯には、企業や飲食店など、地元から多くの協賛が集まったことからも、この土地にサーフィンがしっかり根づいていることが感じられる。

実家の部屋には、原田が昔乗っていたサーフボードやトロフィーなど、サーファーとしての成長の軌跡が残っている

若かりし原田が掲載されたブラックフライズの広告ビジュアル、そして第23回立神杯ジュニアクラスの優勝トロフィー。トロフィーに刻まれた日付は平成4年(1992年)10月25日。33年前の記録

立神の波と幸先のよい花

 

立神のシーズンは10月〜3月の冬。西高東低の気圧配置によって北東の季節風が強く吹くことで、波のサイズが急激にアップ。やがて風が北西に変わり出すと、うねりだけ残り波がよくなる。また、急激にサイズダウンするのも日本海のポイントならでは。クローズアウトしていた翌日に、腰~腹サイズにダウンすることもある。

 

到着日、カイマナ、カイルとともにさっそく立神をチェック。残念ながら、波は小さかった。だが大会日に向かうにつれ、波が上がる要素がある。海沿いを散策していると、数十年に一度だけ花を咲かせ、その後一生を終えるリュウゼツランが立派に花をつけていた。

 

 

※ 波のサイズが大きすぎる、風が強すぎるなど、サーフィンに適さない危険なコンディション。

玄海国定公園内にある立神ポイントは、玄武岩柱が雄雄しくそびえ立つ景勝地。国道から細い道を抜けると眼前に現れる海岸は広々としていながら、海に包まれるような落ち着いた空気が漂う

高々と咲き誇るリュウゼツランに、幸先のよさを思い大興奮

立神岩の観光案内の看板には「サーフィン」も名物として取り上げられている。写真は原田のダイナミックなライディングだ

うねりが弱かったこの日、原田はノーサーフ。エネルギーを持て余したキッズたちは、大友というビーチブレイクでサーフィンをした。カイマナはバックサイドエアーを披露

カイルも負けじとバックサイドで攻める。体の小さい彼らには十分遊べるコンディション

大会前日、波は若干サイズアップ

 

翌25日、波のコンディションは上向いていた。そこで3人はさっそくウェットスーツに着替え、海へ向かった。原田は「海の中は、ふだん入っている太平洋とはぜんぜん違う」と話す。

 

「海水が淡水に近くて、水がサラサラしている。そして透明度が高いからすごく気持ちがいい」

 

まわりにいるのは、昔から顔を合わせてきたローカルばかり。大会前日とあって練習モードのサーファーもいるが、みんなで波を分け合いながら、明日の本番に向けておのずと士気が高まっていく。

大会前日になり、コンディションがわずかに上向いた立神。手前で規則正しく割れるラインが、このポイントの秘めたポテンシャルを物語っている

駐車場からは海が大きく見渡せる。国定公園の中にあるだけに、立神のビーチはきれいに保たれている

自分が育った海で息子とサーフィン。感慨深いひととき

軽快にアクションを決めるカイマナ。「サイズ不足で、日本海特有のタルい波だった。でも中学生で身のこなしが軽いカイマナは、大人じゃ乗りつなげないような波でもしっかり走ってアクションを入れていた」と原田は振り返る

この日の波を「大人では乗りつなげない」と語る原田も、ホームポイントでは水を得た魚。波のフェイスに太いトラックを刻んでいた

開催に向けて準備万端

 

前述のとおり、立神の波は変化が激しい。そのため、日時が決まっているサーフィン大会を開くにはどうしても心配がつきまとう。実行委員長の原田も、少し前から天気予報を眺めつづけながら、波が立つのか、立たないのか、ずっとヤキモキしていた。

 

大会当日、波が上がるのか否か。海上がりのローカルサーファーたちのあいだでも意見が分かれるほどむずかしい状況だった。それでも、大会を開催できるだけの波があることは読めている。設営をするために続々とビーチに集まってきたサーファーたちの表情はなごやかだ。ひさしぶりのホームポイントの温かな空気に、原田の顔も終始ほころんでいた。

 

「みんなに会って、安心感と力が出た。今回の実行委員はチームワークがよくて、なんでもスムーズ。信頼を置けるから、準備をしていてもすごく心地いい」

立神のサーフカルチャーの起源は古い。遅くとも1960年代にはサーフィンが伝わっていたとされ、世代を超えてその意志が受け継がれている

福岡出身のプロサーファー、田中大貴も登場。原田と同じく現在は千葉・一宮に暮らす田中も、立神杯を盛り立てるためにやってきた

カイマナ(左)とカイル(右)はスペシャルクラスにエントリー。ふたりは友だちでもあり、切磋琢磨するライバルでもある

佐賀・福岡県民のソウルフード「牧のうどん」。原田は「マクドナルドに行きたい」という子どもたちをさとして連れていった。結果、肉うどんに全員ご満悦

立神のある唐津は、唐津城を中心に栄えた城下町。古い町並みや海沿いの風景には、昔から変わらない日本らしさが漂っている

大会前日、成功祈願のために唐津神社へ。おみくじを引くと、原田もカイマナも大吉だった

<つづく>

POSTED : 2025-11-17