

PLAYERS : MASAKI HARADA
原田 正規
MHASAKI HARADA
唐津サーフシーンの今
Part 1
九州サーフィン発祥の地と言われる唐津・立神。そこに根づくサーフカルチャーと、次世代のサーファーたちが担う未来。
文:高橋 淳
写真:飯田 健二
原田のホームポイント、立神の特徴
原田は、自身がサーフィンを始めた立神ポイント(以下、立神)の特徴についてこう話す。
「ここの波は、北東の風(オンショア※)が吹き出して波が上がる。そこから風が北西に変わって、うねりがまとまって、サイズが上がったりダウンしたりするんだけど、基本的にはオンショアのコンディションが多い。でも、リーフ(岩場)とビーチが織り交ざったほかにあまりないポイントで、きれいな波が立つ」
サーファーはいい波が立つ場所に自然と集まる。九州最大の米軍基地、佐世保基地に従軍していたアメリカ兵がこの地にサーフィンを持ち込んだというのが定説だ。立神は、九州サーフィン発祥の地と言われている。
※ 海から岸に向かって吹く風。風が波頭を潰すため、ベストな条件ではない。

立神のメインブレイク「インサイド」。 海に向かって右側から崩れるレギュラーの波が規則正しくブレイクする、極上のポイントだ

メインピークの海に向かって左隣は「センター」、左奥は「チリ焼き場」と呼ばれている。いずれの波もクオリティが高い



ホームポイントでサーフする原田は水を得た魚だ。颯爽と波を走り抜け、自在にラインを描く
唐津の街とサーフシーン
唐津は玄界灘に面した海辺の街で、人口は約11万ほどの地方都市だ。街のスケールは大きすぎず、生活の動線が凝縮されている。海から町までは近く、サーフィンのあとにそのまま日常へ戻れる距離感だ。原田は唐津のサーフィンを取り巻く環境についてこう語る。
「小さな街なんだけど、サーフボード工場があったりして、この土地ならではのサーフシーンがある。おれがサーフィンを始めたときに、プレゼンスサーフボードが身近にあった。中学のときからそこのオーナーの善(東島善寿)さんにサーフィン教えてもらったり、板削ってもらったりしてた。もっと古い先輩たちもほかにいて、おれが生まれる前から、ここ唐津にはサーフィンが根づいてた」
原田にとってだけでなく、唐津サーフシーンで大きな役割を果たしていたプレゼンスサーフボード。しかし、2024年2月、善さんは惜しまれつつもこの世を去った。



プレゼンスサーフボードのファクトリー。コンテナを集めたこの場所にサーファーが集い、独特なサーフカルチャーが育まれていった。原田もそのメンバーのひとりだ
次世代に受け継がれたプレゼンスサーフボード
だが、善さんの魂は消えなかった。善さんの息子である東島裕記とその同級生が集い、サーフボードづくりを続けているのだ。全員が27歳という若いメンバーによって、新生プレゼンスサーフボードが生まれた。裕記は、幼いころからサーフィンに親しんでいたものの、高校卒業後は一時期離れていたと話す。
「福岡で遊び散らかしてたんですけど、あっちでの仕事を辞めて帰ってきて。(何もしていなかった)その期間にお父さんが『どうせ暇なら、(海に)入ってこいよ』みたいな感じで言ってくれて、サーフィンまたやるようになって」
裕記がふたたびサーフィンにのめり込むようになるまで、時間はかからなかった。ところが、そこで思いもよらない悲しい報せを受ける。
「親父がガンになったって。そのときには自分もサーフィンにガッツリ入り込んでたんで、それだったら板のつくり方だけでもぜったい習うとこうって思って。で、ちょこちょこ習いはじめて」
それから2〜3年、裕記がサーフボードづくりのノウハウを覚え、技術を上げていくのとは裏腹に、善さんは調子を崩していった。
「それで、いつ逝ってもおかしくないみたいな状況になったときに、もうなくなるぐらいだったら『プレゼンスをやってやろう』って思って。やってみて、ダメならダメで、やってみるだけやってみようって始めたんです」

新生プレゼンスサーフボードのメンバー。左から盛田将真、東島裕記、平井良樹、平山謙心。日中の仕事を終え、夜な夜なサーフボードづくりに励んでいる

「父が亡くなってからと亡くなる前の唐津のサーフシーンは、バランスがぜんぜん変わってきてるっていうのを感じます」と裕記は話す
未来を担う若手の葛藤
少子化が進む日本全体に言えることかもしれないが、善さんの旅立ちが象徴するように、唐津のサーファーはかつてよりも減ってきていると裕記は語る。
「海を見てて思うのは、過疎化ですかね。その分、個人的に考えると……唐津みたいなポイントだと、人が多いよりも、少ないほうが、ふだんやってるサーファーはやりやすいですよね」
規則正しくブレイクするいい波であるということは、波が崩れはじめる「ピーク」が一定ということでもある。つまり、ランダムに波がブレイクするポイントよりも、混雑しやすい。
「あと唐津は冬がメインシーズンで、ポイントもリーフのポイントがほとんどになってくるんで、宮崎みたいにビーチがあって、自分で板を買って自分で始めよう、みたいなことがなかなかできる環境じゃない。そこで自分たちが教えなきゃいけないってなってくると、また人数が絞られてくる。面倒を見られる人数も限られてくるじゃないですか。なので、いい意味で(ポイントのキャパシティに合わせて)サーファーの数をコントロールできるのかなとも感じてます。どうしても、大人数ではサーフできない場所なので……」
それは、サーフィンを閉ざしたいからではない。唐津の波と人の関係を壊さずに、次の世代へ渡していくための、現実的な線引きが存在するということだ。サーファーたちは、いい波をその場のみんなで共有したい気持ちと、自分が楽しみたいという相反する気持ちのあいだで、つねに揺れる。そのバランスは、サーフポイントが持つ特質に左右される。サーフィンにおける、いわゆる「ローカリズム」は、一辺倒のルールとしては語れない。
「サーフィンって格好いいじゃないですか。なので、サーフィンしてない人たちにもその格好よさや楽しさをめっちゃわかってほしくて、『盛り上げたい』っていうふうに、もうちょっと若いときは(単純に)思ってた。でも最近は、ただ広くアピールするんじゃなくて、今波乗りしてる人たちがもっと深く楽しめるようになれたらいいと思っています。下の世代にもこの文化を受け継いでほしいっていう部分はあるんですけど、大きく広げるだけじゃなくて、もっとコア(本質的)に、どんどん盛り上がっていけたらなって」●


<ムービーへつづく>
POSTED : 2026-02-02