わたしが19歳まで暮らしたのは、佐賀県の唐津市。人口約11万人と小さな町だ。住んでいた地域は、農業・林業・漁業に携わる家が多く、いっそうのどかな田舎町だった。
幼少期は、父親が密漁でわたしを育ててくれていた。狙う獲物はウニ。仲間たちと船で夜中に沖合へ向かい、真っ暗な海へ潜る。ウニを深追いし、潜りすぎることで起こる潜水病のリスクもある。潜水病により、父親が何度か病院に運ばれたことを覚えている。不安定なうえ、大きなリスクを伴うその仕事が結果として両親の離婚を招き、わたしは母親のもとで暮らすようになった。
そうして実家を離れ、海に近い隣りの集落に引っ越したときにサーフィンと出会った。まさに、生きる希望を与えられた感じだった。
初めてサーフィンをしたのは、家から自転車で5分ほどのポイント。大きな玄武岩の柱で有名な立神岩の海だった。じつはこの立神ポイントは九州のサーフィン発祥の地と知られている。サーフィンが盛んだった1980〜90年代は、レベルの高い宮崎のサーファーたちへの対抗心が強かった。波が少ない日本海エリアのわたしたちは、太平洋育ちの宮崎のサーファーに負けないように波をハントしに行くことがつねだった。唐津のサーファーたちは、仕事が終わってから夜中に車を走らせ、寝る間を惜しんで波を追い求めた。
そんなわたしの地元で年に一度開催される立神杯は、九州でもっとも古いサーフィン大会で、全九州エリアのサーファーの登竜門となっていた。しかし、ここ十数年にわたり、歴史あるこの大会は中断してしまっていた。わたしの師匠であったサーファーも亡くなり低迷する時期がとても長かったが、ついに今年、「また立神杯をやろう」という声が上がった。この連絡を受けたとき、わたしは迷わず「やらせてください」という返事をした。
まだ決定ではないが、これから唐津のローカルたちと会って話し合い、全員一丸となって立神杯の復活を目指すつもりだ。
POSTED : 2025-05-28