
この春、エマはついに小学校の最終学年の6年生になった。スケボー漬けの日々を過ごし、あっという間だった。4年生で夢の舞台だったXゲームズに初めて出場し、5年生ではメダルを獲得することもできた。ここまで来られたのは、本人の努力はもちろん、支えてくださったたくさんの人たちのおかげだと感じている。
今のエマはオフシーズン。数か月コンテストがないなかで、毎日の練習に向き合っている。身長も伸び、体幹も強くなり、身体のコントロールもよくなった。その結果、今までの経験と合わさり、いろいろなトリックを短時間でメイクできるようになった。そして、滑りにも安定感が増してきた。
これまでも今も練習がハードであることに変わりはない。エマによく問いかけることがある。
「どんな滑りがしたいのか」
コンテストで勝つための戦略的な意味ではない。バートやストリート、パークやミニランプ、スノーボードやBMXのコンテストを観ていて、わたし自身感じることがあった。それは、ジャッジの評価と観客の印象、選手自身の手応えがかならずしも一致しないということだ。
どの見方が正当なのかはわからないし、もちろんそれぞれに正解があると思う。ただ、コンテストである以上、結果を決めるのはジャッジだ。ジャッジもまた人であり、各々の経験や価値観がある。得意としてきたスタイルやこれまで見てきた滑りによって、感じ方が変わることもあるのだと思う。さらに言えば、ジャッジは保護者やコーチのように選手たちの日々の練習や積み重ねを見ているわけではない。その違いは小さくない。高度なコンビネーションや独特なスタイルを築き上げるむずかしさは、実際にやってきた者にしかわからない領域がある。一瞬の滑りだけでは、その本質が十分に伝わらないこともあるのだ。それゆえ、ジャッジの評価と自分の手応えに差が生まれるのは避けられないのだと思う。
選手がコンテストで見せられる滑りは一瞬だ。ふだんの練習時間の方が圧倒的に長い。だからこそ思う。自分自身が納得できる滑りをすることがもっとも大切なのではないか。
コンテストにおいて、ジャッジの評価を受け入れること、評価される滑りを理解することは大切だ。戦略的に自分に有利な流れをつくることも競技として楽しさのひとつだろう。けれども、エマを含めてスケートパークで日々努力を重ねている選手たちを見ていると、別の側面も強く感じる。
ジャッジの役割は、コンテストでの一瞬の滑りを評価するものだ。そこにいたるまでの過程や努力は、基本的には評価の対象ではない。それは仕組みとして当然であり、否定すべきではないと思っている。だが、その一瞬の評価が選手に与える影響は大きい。とくに子どもたちは、その結果に大きく心を動かされる。評価によって自信を持つこともあれば、逆に迷いが生まれることもある。ジャッジの評価が、その後の練習という圧倒的な時間に作用し、未来の滑りに大きく影響するのだ。
保護者でありコーチといった立場でほぼ毎日パークにいる人間から見て、選手に強く思うことがある。
「努力の方向を、ジャッジの評価で決めてほしくない」
その評価は、選手にとっていい刺激やモチベーションとなる場合もあるが、プレッシャーやストレスになる場合もある。あらためて言うが、ジャッジを否定するわけではない。評価に振りまわされてほしくないのだ。自分がやりたいことはなんなのか。どんな滑りに価値を感じるのか。自分が納得できる滑りは何か。それを大事に考えつづけて滑ってほしい。
だからわたしはエマに問いつづけている。
「どんな滑りがしたいのか」
X ゲームズに出場してメダルを取りたいというエマの目標は変わらない。その目標に向かって、まわりに流されることなく、自分のやり方で滑りつづけて勝ってほしいと思っている。

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POSTED : 2026-04-24